東洋運命学(東洋史観、算命学、その他)を学んで研究しています。

世間では、占いと言われているものです。

学べば学ぶほど、その奥の深さに感心するともに、なぜ、こんなに当たるのか不思議でしかたがありません。

研究者と言う理系の現実の世界で長年仕事をしてきた私にとって、とても興味のある研究対象です。

よく、占いは統計学だと言う方もいらっしゃいますが、

これまで、研究やマーケティングで統計を駆使し、回帰分析等を行ってきたものとして、

確信していることは、占いは統計学ではないということです。

古代の先人達が、丁寧な自然の観察と膨大な仮説の検証と、おそらくスピリチュアルなひらめきの様なものとがあいまって、築きあげてきた学問体系だと思っています。

そんなにすごいのなら、100%未来が予想できるのかというと、もちろんそうではありません。

ただ、何度もお伝えしてきたように、占いを使って、人が元氣になり、夢と勇氣をもち、笑顔になっていけば、それが本当の使い方だと思っています。

毎月、鴇田正春先生をお招きして、東洋史観勉強会を開催しています。

いつも本当にお忙しい中、とても興味深い内容をわかりやすくお話しいただいている鴇田先生、本当にありがとうございます。そして、勉強会の仲間の皆さん、ありがとうございます。

素晴らしい師匠や仲間に恵まれて、本当に私は幸せです。

教えていただいたこと、ともに学んだことを十分に生かして、世の中のために生かしていくことこそ、恩返しだと思います。

 

今日は、宿命と運命との違いっていうお話。

東洋運命学では、人には皆、生まれながらにして「宿命」というものがあり、これは変えられません。

「宿命」に「環境の選択」を掛け合わせたものを「運命」といいます。

つまり、もって生まれた宿命に対して、自分がどんな環境を選ぶかで運命が変わるのです。

だから、宿命は変えられないが、運命は変えられる。

宿命に合った環境を選べば、良い運勢の運命になり、あわない環境を選べば、良くない運勢になるということです。

 

例えば学者の宿命をもった人が商人を目指したり、芸術家の宿命をもった人が2世議員として政治家になったり。

自分の宿命に合わない環境を選択すると、様々な困難が待ち受け、苦労の連続となります。

人は、自分の宿命を知らされず、自分というものを知ろうとしないので、時に環境の選択を間違えてしまい、運命に翻弄されてしまいます。

しかし全ての出来事に意味があるとするならば、その環境の選択ミスにも意味があるのです。

環境の選択ミスで苦労することにより、その人は成長することができます。

自然の一部である我々一人ひとりが、それぞれに成長することにより、宇宙は進化を遂げていく。

それが人類に与えられた本当の役割なのかも知れませんね。

もし、そうだとするならば、私は喜んで《運命》からの挑戦を受けて立ちましょう。。。